息子(娘)が会社を継いでくれることになった。これで経営の跡継ぎの問題はなくなった。
ホッとしたところで大きな問題が残っていることに気が付く。営業部長と工場長と総務部長の後継者が育っていない。
三人とも熟練の技、豊富な実務知識と経験、広くて深い人脈を持っていて会社の売上・利益のほとんどを稼ぎ出し、金融機関を巧みに説得して設備投資の資金を調達してくれている。
三人なら安心なので随分長い間、それぞれの分野を丸投げしていた。病気一つしないのでいつも元気だし、居て当たり前になっていて、気付いたら三人とも還暦近くになっていた。
中小企業の後継者問題はどうしても経営者に関心が集中してしまい、その陰に隠れてベテランのハイパフォーマー(ダントツの成果を上げる社員)の後継者づくりが後回しになってしまう。中小企業のハイパフォーマーはトップセールスマンの営業部長、熟練の技を持つマイスターのような工場長、技術部長。そして金融機関への交渉力を持ち、融資の話を上手く纏めてくる経理・総務部長。
共通するのは、卓越した独自なノウハウと愛社精神と社長に対する同志意識に近い忠誠心を持っていること。頑固だけれど愚痴ひとつ言わずに社長と一緒に会社を伸ばしてきた。『この人しかできない、この人しか知らない、この人でないと上手くいかない』をたくさん持っていて、社長にとっては替わりがきかない貴重な存在でありながら、身近すぎて居て当たり前になっていて「いなくなった時の備え」が先送りされている。
当事者の本人たちは「仕事が好きだから、体力が続く限りは頑張りたい」と自分の身体との相談はしているが後継者のことは考えから抜けている。
ベテランだし部長・工場長なのだから、自分の引き際を考えて、ノウハウや人脈、熟練の技を部下や後輩に伝授・伝承するのは当たり前、と言いたいところですがそうはいきません。部長・工場長といっても自ら多くの大口の顧客・重要案件を担当する典型的なプレイングマネージャーです。ずっと会社の業績を背負い続けてきて、自分の後ろを振り返る余裕はなかったのです。
また、プレイングマネージャーとして会社の収益を支えてきた部長・工場長は「自分に厳しく、部下にも厳しい」ので、バリバリに働いていた30代40代50代前半まで、その厳しさがストレートに部下に向けられ、今ならパワハラすれすれ、後継者は育つ前に潰れるか、会社を辞めてしまっていたのです。それを何度となく繰り返しているうちに、入社して数年の若手とベテランだけという、人材の空洞化現象が起こってしまうのです。
ベテランのハイパフォーマーから「少し身体がきつくなってきました。自分の老後のことも考えたいし、孫との時間がもっと欲しいので、そろそろ・・・」言われる前に早急に対策を打たなくてはなりません。雇用延長も70歳まで努力義務化される時代だから、嘱託という名目で数年は引き留められるから大丈夫と高をくくってはいけません。
嘱託という役割になって実質的な責任から解放された瞬間、別人のように業績への使命感、仕事への熱意、周囲への関心が薄れ、体力・気力も少しずつ衰え、人財育成どころではなくなるケースは多いのです。
こうした事態になる前の具体的な対策を2つご紹介します。
➀無形資産の有形化
いわゆる「マニュアル化」ですが、一般的な手順書や解説書的なものを作るのではありません。
ベテランのハイパフォーマーの頭の中の、本人さえ自覚していない独自な技・コツを目に見え、耳に聞こえるようにするのです。本人には当たり前・自然な事なので自覚がなく、自覚がないから言葉にならない。言葉にならないから形にできないのです。それを言葉にしてもらい形にするのです。
やり方は様々ですがその一つに「観察・質問・動画撮影法」があります。ネットを開けばYouTubeで「早く・楽に・綺麗に泳ぐ方法」など、動画でコツ・ノウハウを学ぶことができます。悪い例と良い例を比較して分かりやすく解説してくれます。それと同じです。
ベテラン技術者の動作・操作を解説してもらいながら動画撮影します。本人が解説しにくいと言うなら、撮影しながらみんなで多くの「問い」を投げかけ、応えてもらうのです。聴かれればいくらでも「解」が出てくるからベテラン恐るべしなのです。特に「ここが差別化、稼ぎのもと」になっている重要な箇所は撮影スピード、角度、ズームを駆使して記録します。
営業の場合はロープレ形式で営業部長に営業側を受け持ってもらったり、顧客側になってもらって商談・受注対決し、その一部始終を録画します。営業側になった時の商談テクニックもさることながら、顧客側になった時の営業部長こそ手ごわい顧客です。顧客の心理とその動きを知り尽くしているので営業担当者が3人掛かりでもやり込められてしまいます。この熱い応酬を動画に残します。
技術・営業(今回は総務を除きます)など、一通りの動画が完成したら皆で見ながら気が付いたことをメモします。そのメモから、最も良いプロセス、有効な知識や説明資料、説得力のあるデータを事例・テキスト・ツール化します。こうした成果物はもちろん重要ですが、作る過程のベテランと若手の本気の対話も貴重な時間であり「場」なのです。
➁社内塾
動画や事例・テキスト・ツールが出来たら、初級・中級・上級にレベル分けして再編集します。それを使ってベテラン・ハイパフォーマー本人に先生を担当してもらいます。
生徒・受講者になる社員はテキストで予習し、日常業務で実践してくることが前提課題です。誰より実務に長けていても、プロの講師ではありませんから説明や講義の進め方は下手かも知れません。しかし、高齢の上司・先輩が大汗をかきながら、自分たちの為に一所懸命講義をし、実演する上司・先輩の姿は若手の心に刺さります。口うるさく、時には煙たい上司・先輩が尊敬すべき恩師に変わります。これを仕組み化・制度化して継続すれば企業の文化になります。良い企業文化は良い経営戦略を超えて企業の成長を持続させます。
最後になりますが、社長はベテランのハイパフォーマーにはっきりと言って欲しいのです。「あなたのノウハウはあなたのものであると同時に会社の貴重な財産です。しっかり相続させていってくれ」と。