●中小企業の社員は管理職も含め、たいてい「報連相」ができないし、苦手で嫌いです。
大企業のように「報連相」をルール化して徹底する方法もありますが、中小企業の場合は、どうしたら「報連相」をしたくなるかを考えるほうが上手くいくと思うのです。
私が自動車機器メーカーのサラリーマンだった頃の話です。自動車メーカーM社にも製品を納めていたのですが、その頃のM社の車は一時期の輝きがなく、人気がありませんでした。一度M社の車を買うと買い替えの時M社のディーラー以外では下取り価格が低く、結局またM社の車を買うしかない。この状態から抜け出せないので「M地獄」という言葉がささやかれていたくらいです。
ある時M社から取引先あてに通達が来ました。一字一句を正確に覚えていないのですが以下のような内容だったと思います。
「当社は社内改革に取り組みます。まず、社内・外の「報連相」を良くし、コミュニケーションを活性化させたいと思います。そのためにプロジェクトを立ち上げました。プロジェクト名「ポパイプロジェクト」です(ホウレンソウで力を出すので)。
それから、10数年の間に多すぎる販売チャネルを統合し、クリーンでパワーのある新エンジンの開発に成功し、車のデザインも一新しました。今では人気の車種が多く、国内以上に欧米で高い評価を得ています。
他のカーメーカーの力を借りず、ほぼ自力で会社のイメージを刷新させたM社の改革は、ポパイプロジェクトの「報連相」の再認識と強化が始まりだったのだと思います。
クライアントの中小企業のY社長から、『うちの管理職は「報連相」ができないんです。だから現場がどんな状況なのか、何が起こって、どうしているのかが良く見えないんです。こちらからいちいち聴かないと答えないし、管理職からあっても事後報告で、終わっちゃった話です』と相談を受けました。
さらに詳しくお聞きすると「報連相」について管理職数人と話をし、次のような意見が出てきたそうです。
●社長はちゃんと報告しろと言っているけれど俺たちの話を最後まで聴いてくれたことがない。途中でダメ出しするかお説教になる。しまいには怒り出す。
●任せてくれたのだから俺は俺の仕事として責任を持ってやっている。いちいち口出しされたくない。
●社長に相談するとアドバイスをくれるのはいいけれど、上手くいったとき「私の言った通りだろう」と、俺たちを褒めずに社長が手柄を横取りする。達成感も持っていかれる。
●「なぜ、そうしたんだ。なぜ、そう思ったんだ」と、なぜなぜ分析ならぬ「なぜなぜ攻撃」されて思考停止になる。
話を聞いていて、この会社の管理職が「報連相」ができないのは管理職側よりも社長のほうに問題があるようです。
ビジネス書を読むと報告・連絡・相談それぞれの定義、目的と方法が詳細に解説されています。ビジネスを成功させるための、部下が上司に向けての必須のスキルだとされています。
それはそれでなるほどと思うのですが、専門性で細分化された業務を、明確な責任範囲のもと、組織で協働する大手企業なら通用すると思いますが、中小企業の場合はどうかなあと疑問です。
一塊の仕事を曖昧な責任範囲のままで任せられる中小企業の社員は、ある意味独立心が強く、自分の仕事は「俺の仕事」だと囲い込んで他者を無意識に排除するところがあります。プレイング・マネージャーの管理職なら尚の事です。
「報連相」とは何かを教育しても、「頭では分かるけれど、面倒くさい、やりたくない」が先行してしまうのです。
Y社長と色々意見交換したところY社長の方からアイディアが出てきました。
「やらされる報連相」ではなく「やりたくなる報連相」にすればいいのだと。
具体的には、
■社員の「報連相」の話を最後まで聴く。途中で口を挟まず、ダメ出しも責めもしない。
■社長の的確なアドバイスで仕事が上手くいっても「手柄を横取りしない」
■「報連相」の機会を社員の指導ポイント、やる気ポイント、褒める材料の情報収集として意義づける。
■できる限り、「正解」過ぎない、本人が気づくような、手が届くギリギリのところの「問い」を心がける。(社長として言いたいのを我慢する)
■緊急時を除いて、言葉だけはなく文書でやり取りをして、プロセスを残す。
Y社長は『社長は誰からも褒められないから、時には「さすが社長ですね」と言われたくなるけれど、それじゃ管理職も社員も「報連相」したくないよな』と腹落ちしたようでした。私も自覚があり同感でした。
Y社長は今日から実行すると断言されましたので後日談が楽しみです。