見過ごしている、ケタ違いの成長軌道のポイント

平凡な会社をケタ違いの成長軌道に乗せる経営で重要ポイント以下2点について考え方、エッセンスとそれを見出した出来事ともにお伝えします。

20.「ロングスパン思考のすすめ」

20年以上遡っても公立T高校野球部が甲子園予選の地方大会で2回戦を突破したという記録はない。しかし日本史のH先生が監督になってから約7年で県内の強豪校へ。

特に「強み」のない平凡な高校野球部がなぜ、甲子園までもう一歩のチームへと成長したのか。


関東平野と山間部境界線に位置する人口5万人弱の地方都市に創立125年のT高校がある。公立高校なのでスポーツ推薦はなく、市内の中学校でずば抜けた才能がある生徒は私立の高校にスカウトされる。

野球部も同じで中学校の時に華々しい活躍をした選手は私立校へ行き、T高校には3年間野球を続けた、平凡だけど野球が好きな生徒が入部してくる。部員間での暗黙の目標は「予選大会2回戦突破」であり、優勝とか甲子園という言葉は部室にない。

ところが日本史のT先生が赴任し監督になった日から何かが変わりそれが継続・継承され7年の後に甲子園予選大会の決勝戦に2年連続で勝ち進み、優勝には一歩及ばなかったが、その後も準決勝以上に常に顔を出す強豪校になった。

 

私は高校2年の時にT先生の担任のクラスになった。クラスメイトにレギュラーが4人いた。ピッチャー、セカンド、ライト、センター。みんな性格が良く、勉強もできた。

4人とは席が近かったのでよく話をした。「いつから野球をやっているのか、中学の時活躍していたのか、進路はどう考えているのか」など。この時代、地方都市にリトルリーグはほとんどなかったので4人とも本格的に野球を始めたのは中学からだ。

中学の3年間ずっとレギュラーで多くの試合を経験したが、県内・外の私立高校からのお誘いはなかったという。4人の卒業後の進路は一人だけ大学でも野球部に入ったが他は公務員とイチゴ農家の跡取りになった。

1学年280人程度の田舎の高校、野球部の予算は私立高校の10分の1、校庭が野球練習場で陸上部と共有していた。時々「行ったあ!」と言う硬式ボールの危険を喚起する声が響いた。ゴルフ場の「ファー!」と同じだ。

監督のT先生は広島カープファンの野球好き、高校の時は野球部だったが補欠だったらしく自分の高校時代の話はしたがらないし、なぜ監督になれたのかも分からない。

監督に就任した時、一人ひそかに「甲子園に行きたい(自分が)」、生徒を甲子園に連れていきたい(先生ありがとうと言われたい)」と思い、その野心を持続させるべく厚い大学ノートを買った。野球理論を専門書で研究したり、色々なアイディアや構想を書き残した。枕元にノートを置いて時には朝まで溢れるアイデアと妄想を書きなぐったという。こうした武勇伝的話は日本史の授業の脱線話で明かされ、野球部以外の生徒の心も熱くさせた。

  • 監督就任の年は選手の意識向上に時間を費やし「考え方・心構え」の話をした。それを3年間聴かされていた1年生が上級生として後輩に話して、態度で手本を示した。
  • 強豪校の練習方法などを視察し、研究したことや自身のアイディアと組み合わせ、独自な練習方法を工夫して合宿の時に黒板に書いて選手の皆とイメージを共有した。
  • 他校にお願いして練習試合を組んでもらい試合経験を積んで、勝っても負けても反省会を徹底した。冗談のような言い方から「甲子園」を恐る恐る口にした。そして年を重ねるごとに大きな声と文字にして共通の目標にしていった。

■そんな努力をして育てても生徒は3年間でいなくなる。しかし、卒業する一人一人が「何か」を残していってくれた。うまく言えないけれど、目に見えないバトン(頑張ることの意味や仲間やチームワークの大切さ、そして甲子園を目指すこと)を後輩に手渡し、想いを託していった。

戦国時代の武田信玄や上杉謙信から脱線し、ほぼ遭難状態の授業の中で、小さめの目をキラキラさせながら話してくれたH先生の姿を覚えている。この時だけは無精ひげもカッコよく見えた。

 

これといった「強み」のない平凡な野球部が「甲子園を目指す」と言ったら誰もが無理だと決めつける。言葉にした本人さえも絵空事のように思え、感情の高ぶりもなく、言わなかったことにするように、目指すための一歩も踏み出さない

ところが「10年」という言葉をつけたらどうなるだろう。「10年あったら何とかなるかも」と光がさし、自分の言葉にドキドキ・ワクワクする

アメリカ合衆国のケネディ大統領のムーン・ショット「10年以内に月に人を送って無事に帰す」と同じだ。(これは10年も待たずに実現された)

短いスパンで目標を設定しそれに全力を尽くす、その先に高見がある。それも有りかとは思う。しかし、短期の目標を達成するための考え方や取り組みと、長いスパンで大きな目標を設定して踏み出すのとは最初の一歩から違う。どっちが社長自身がワクワクするか、社員は喜んでついてくるかだ。

1年後、2年後の目標は「行きたい所よりも行ける所」に必達目標として引っ張られるが、ロングスパンで10年先の遠くを眺めるようにすれば「本心で、妥協しないで行きたい所」を目指すことができる気がする。

高校野球部員は3年の在籍期間だが、社員は定年延長で働けるまで働いてもらうと思えば50年間一緒に目標を追い続けられる

10年というロングスパンで社員をみれば、特に「強み」はなく普通の人材だけど社長が10年かけて手塩にかければ、会社を支える人財になるかもしれない。ロングスパンで見渡せば希望や可能性や夢ばかりが見えてくる。

 

変化が激しい、何が起こるか分からない、予想も予測もつかない世の中であり、経営環境だから尚のこと、ロングスパンでなりたい会社社員のみんなを連れていきたい所を描き、目指したい。