見過ごしている、ケタ違いの成長軌道のポイント

平凡な会社をケタ違いの成長軌道に乗せる経営で重要ポイント以下2点について考え方、エッセンスとそれを見出した出来事ともにお伝えします。

16.勤続15年社員の知らなかった野望

まさか、あのおとなしい彼がこんな大それた夢を持っていたなんて知らなかった。今まで15年も働いていて、一言も口にしなかった。

介護施設6か所、全くの異業種の新規事業で3拠点を経営するY社長は大きなため息をつきつつ、「本当に驚いた、そして反省した」と話してくれました。


多少のバラつき、向き不向きはあるけれど、数年介護の現場仕事を覚えてもらい、一通りの仕組みや制度も理解してもらったら、優秀な職員には、ご褒美の意味も込めて1つの事業所の責任者(拠点長)を任せている。

責任の重さに耐えながら、別人のように頑張ってくれるので「私の目に狂いはなかった」とほっとする。しかしそれも束の間。社長すみません、「拠点長の先が見えないんです」、「介護の仕事は嫌いではないけれど他の仕事をやってみたい。自分の別の能力・可能性を試したんです」と言って、「いいやつ」ばかりが辞めていく。

期待と信頼の両方を一辺に裏切られたような気持ち、何かと良くしてやったのにと自分でも情けなくなる恩着せがましい言葉がこぼれ出る。

この感情ばかりは免疫にならない。繰り返されるたびに社長なのに傷付く。

こんな思いはしたくないと一念発起、介護とは対照的な明るく、楽しそうな異業種の事業に取り組んだ。拠点長の先を見せてやろう、別のこと・別の能力を試せる「場」を作ってあげたい一心で、大きな挑戦・財務のリスクに挑んだ。

軌道に乗るまで色々あったが、地域でも話題になり業界内でも注目され、採用・定着面でそこそこの効果があった。 

多少気を良くした私は、これまで以上に「会社の夢(私の夢)、経営ビジョン」をことあるごとにスタッフに話した。それこそ耳にタコができるくらいに刷り込み、共有し、同じ方向を向けるようにした。

数年経ったある日ことである。テレビでオリンピック選手が夢を持つことの大切さを話し、子供たちが目をキラキラさせて聴いている番組をみた。(確か夢先生)自分も小学校の時の卒業文集にワクワクしながら「夢」を書いたし、タイムカプセルをドキドキしながら埋めた記憶がある。

これは社員のモチベーションアップに有効かもしれないと早速実行した。

管理職を集めて「10年後のありたい自分、将来の夢」を書かせてみた。

恐らく、いつも話している会社の経営ビジョンをベースにした「夢」を書いてくれると高をくくっていたが、それに触れてくれる者は一人もいなかった。

Y社長が本当に驚いたというのは一人の管理職が提出した「10年後のありたい自分、将来の夢」の内容だった。

拠点長の中でも一番大人しい勤続15年W君、年齢は53歳のそれは大胆にも「市議会議員に立候補する」だった。

これはあまりに馬鹿げていると思ったし少し腹も立ったので、社長室にW君を呼んで「何、書いているんだ」と問い詰めた。

意外にも、普段大人しいW君が顔を真っ赤にして反論してきた。

「社長が新規事業をやると言った時、みんな他人事に聞いていましたよ。失敗したら俺たちの賞与が出なくなると心配もしました。でも社長は必死に取り組んで素人同然の事業を軌道に乗せた。そんな姿を見てきたから、自分の10年後も大きな事、今の自分にとって挑戦的なことを書こうと、寝ないで考えたんです。  

それに私の将来の夢なんて聞いてきたことなどなかった。関心だってなかったんじゃないですか」と。


今回のことでY社長は以下のことを反省したそうです。

■経営者の夢、価値観、会社の将来の話をするばかりで、社員の皆がどうしたいのか、どんな夢を持っているのかなど一度も聴いたことがなかった。

■仕事ではない夢や目標は会社を辞めることに繋がるかもしれない。そんな夢を持たれたら困ると心のどこかで思っていたのかもしれない。

■50歳60歳、いくつになっても夢や大きな目標を持ってワクワクドキドキするのは大事だ。それは経営者だけの特権ではない、社員も同じだ。仮に会社の外に夢や目標を持ってもいいじゃないか。辞めたら損だと思える会社にする。こっちの夢の方がいいぞと思える経営ビジョンにすればいい。

Y社長は、管理職みんなの「10年後のありたい自分、将来の夢」に赤ペンで激励と賞賛のメッセージをはみ出すほどに書き込んで、笑顔とともに返却したそうです。