ただ場所を移動するだけなら、それは「トラベル(Travel)」です。しかし、訪れた先で何かしらの体験が加わると、それは「ツーリズム(Tourism)」に変わります。
この発想は、仕事にも応用できるのではないでしょうか。ただの労働や作業としての「ワーク(Work)」ではなく、気づきや学び、成長を促すような体験として捉えるなら、それは「ワークリズム(Workrism)」になります。この「ワークリズム」という言葉は、そんな思いから私がつくった造語です。
以前、和歌山県の高野山・金剛峯寺を訪れたときのことを思い出します。
一般的なお寺は、たとえ境内が広くても一つの寺院としてまとまっていることが多いですが、金剛峯寺は少し異なります。山全体に複数の寺院が点在しており、それらを総称して「高野山金剛峯寺」と呼ぶのです。現地に行って、初めてその構造を理解しました。
午後3時ごろに到着した私は、広大な境内を歩いて回りました。おそらく3時間ほど歩いたと思いますが、それでもすべてを巡ることはできませんでした。その夜は、一般の旅館ではなく「宿坊」に宿泊。料理をつくってくれるのも、部屋まで運んでくれるのも、すべてお坊さんです。
夕食には、若いお坊さんが運んでくれた質素な精進料理が出されました。その方から「夜の体験ツアー」へのお誘いを受け、参加することにしました。
集合場所は宿坊の玄関。お坊さんの案内で、近くのお墓を巡るナイトウォークです。途中には小さな川があり、それを渡ることで「この世」と「あの世」の境界を越えるのだという話を聞きながら進みました。
ツアーの終点は、空海が修行したとされるお堂。約40分間の夜の散歩でしたが、静けさと語りの中で、不思議な感覚を味わいました。
この体験によって、昼間に歩いた道がまったく違って見えるようになりました。まさに、「トラベル」が「ツーリズム」に変わった瞬間でした。
仕事にも、同じようなことが言えるのではないでしょうか。
たとえば、プレス工場では、金型をセットし、材料を配置し、機械を動かして製品をつくる。その繰り返しの日々は、一見すると単調で、ただの“作業”のように思えるかもしれません。
しかし、もしその中で「なぜこの製品はこのように設計されているのか」「少し工夫すれば精度やスピードを上げられないか」と考え始めたとしたら?
あるいは、後輩にノウハウを伝えることに喜びを感じたり、お客様の声から製品の向こう側に人の存在を感じたりしたとしたら?
その瞬間、仕事は単なるルーティンではなく、思考と感情が交差する“経験”に変わります。体験を通じて、自分の意識や視野が広がっていくのです。これが、ワークからワークリズムへと変わる瞬間です。
私たちは日々、移動し、働いています。しかし、その「移動」や「労働」をどう捉えるかによって、その質は大きく変わります。ツーリズムやワークリズムといった“意味のある経験”へと変える鍵は、自ら「問い」や「意味」を持ち込めるかどうかにあるのかもしれません。
旅が単なる移動で終わらないように。仕事もまた、ただの労働で終わらせない。
そんな姿勢を持つことで、日常の中に新しい景色や成長の機会が現れるのではないでしょうか。
社員がそのような意識を持つことができたなら、仕事の現場には確かな変化が生まれます。
単なる作業だった日々が、自分なりの意味を持った“経験の場”へと変わっていくのです。
一人ひとりの視野が広がり、学び合いや工夫が自然と生まれる。
その積み重ねが、組織の強さや柔軟性を形づくっていきます。
では、そうした意識の変化をどう促すのか。
それはまず、経営者が「問いのある仕事」を肯定し、「経験としての仕事」を意図的に創り出すことだと思います。
やり方や手順、技術を教えることももちろん大切ですが、それ以上に、「なぜこの仕事をするのか」「その先に誰がいるのか」といった視点に、社員が自然と触れられるような仕掛けや対話を、日常の中に丁寧に組み込んでいく必要があります。
現場で生まれる小さな工夫や気づき、他者への関心。
それらを単なる“いい話”として終わらせず、組織の文化として育てていくことが、経営そのものにリズムを生み出します。
「やらされる仕事」から「自ら意味を見出す仕事」へ。
その転換を促すには、経営者のちょっとした工夫や新たな一歩が欠かせません。
そうした挑戦が、静かに、しかし着実に会社の空気を変えていくのではないでしょうか。